ディーク・ディッカーソンの著書「THE STRAT IN THE ATTIC」に収録されているいくつかのエッセイは、このブログでも折にふれ、度々紹介してきたが、中でもリンク・レイと彼のダンエレクトロ・ギターリンについては、以前にも紹介したとはいえ、とても面白い話なので、いっそのこと全部訳してしまえばいいのではないかと思いついた。
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「パワーコード」の発明とともにそれまでのギターサウンドを一変させたノースカロライナ生まれの野蛮な男、リンク・レイはロックンロールの歴史において最も偉大な人物の一人である。1958年の彼のヒット曲「ランブル」はインストゥルメンタルでありながら、そのサウンドがあまりに不穏なものであったことから、いくつかの都市で放送禁止となった。
ブルースやヒルビリーから引き出され、存分に増幅されて歪みきったリンク・レイのプリミティヴなスタイルは、ジャンルの境界を超えてそのまま新しいカテゴリーとなった。彼はその後に続くすべてのロックンロールギタリストに影響を与えたといっても過言ではない。2008年のドキュメンタリー映画「It Might Get Loud」にそれを物語る場面がある。ジミー・ペイジが自宅で「ランブル」のオリジナルレコードを聴いている。
Jimmy Page Listening to Rumble.avi
ペイジは明らかにこれを初めて聴いてから50年ほど経過した今でもこのレコードに夢中になっていることがわかる。スピーカーからレコードの音が出てくるのと同じように、彼は子供のような驚きを醸し出し、曲の途中でリンクがトレモロエフェクトを加えるときには喜びに満ちた笑いが爆発する。ペイジがリンク・レイを崇拝していたことは明白だが、そうであるのは彼だけではない。偉大なロックギタリストのほとんどがギターを始めた頃に影響を受けたとしてリンク・レイの名を挙げており、パンクスたちは彼のスタイルやアティチュードを自分のものとして取り入れた。
リンク・レイの機材は彼のアティチュードと同じくらい彼のトーンに不可欠だった。リンクのキャリアを一貫して流れるテーマは普通じゃない変わったギターやアンプへの偏愛だった。「ランブル」はギターこそゴールドトップのレスポールで録音されたが、録音時に使用されたアンプは、彼が欲しかった下品で粗野なサウンドを得るために、スピーカーに鉛筆で突っついた穴が開いた廉価なプレミアだった。
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「パワーコード」の発明とともにそれまでのギターサウンドを一変させたノースカロライナ生まれの野蛮な男、リンク・レイはロックンロールの歴史において最も偉大な人物の一人である。1958年の彼のヒット曲「ランブル」はインストゥルメンタルでありながら、そのサウンドがあまりに不穏なものであったことから、いくつかの都市で放送禁止となった。
ブルースやヒルビリーから引き出され、存分に増幅されて歪みきったリンク・レイのプリミティヴなスタイルは、ジャンルの境界を超えてそのまま新しいカテゴリーとなった。彼はその後に続くすべてのロックンロールギタリストに影響を与えたといっても過言ではない。2008年のドキュメンタリー映画「It Might Get Loud」にそれを物語る場面がある。ジミー・ペイジが自宅で「ランブル」のオリジナルレコードを聴いている。
Jimmy Page Listening to Rumble.avi
ペイジは明らかにこれを初めて聴いてから50年ほど経過した今でもこのレコードに夢中になっていることがわかる。スピーカーからレコードの音が出てくるのと同じように、彼は子供のような驚きを醸し出し、曲の途中でリンクがトレモロエフェクトを加えるときには喜びに満ちた笑いが爆発する。ペイジがリンク・レイを崇拝していたことは明白だが、そうであるのは彼だけではない。偉大なロックギタリストのほとんどがギターを始めた頃に影響を受けたとしてリンク・レイの名を挙げており、パンクスたちは彼のスタイルやアティチュードを自分のものとして取り入れた。
リンク・レイの機材は彼のアティチュードと同じくらい彼のトーンに不可欠だった。リンクのキャリアを一貫して流れるテーマは普通じゃない変わったギターやアンプへの偏愛だった。「ランブル」はギターこそゴールドトップのレスポールで録音されたが、録音時に使用されたアンプは、彼が欲しかった下品で粗野なサウンドを得るために、スピーカーに鉛筆で突っついた穴が開いた廉価なプレミアだった。